摂食障害という混沌の中で

 卒論のあまりの出来てなさに絶望して今日は一日中とにかくいらいらしていた。ただでさえ、朝起きてから寝るまで、少しの時間を除いて監視されていらいらしているのに。卒論のことを考えるととにかくもうどうしようもなくなってくる。今の生活の第一目標が卒業。それに立ちはだかる卒論という壁。それが、本当にどうしようもない。もっと違うテーマを選ばなかった自分にいらいらして、上手くいかない尺度作成にいらいらして、結局過去の自分を責めて今の自分を憎み世界を憎んでしまう。めちゃくちゃな三段論法もまたいらいらしてとにかくイライラがとまらない。


 今日はそんなわけで朝から仕事だったのだけれど、仕事中とにかく何もかもがむかついてしょうがなかった。話がくどい上何を言っているのかわからない電話の御婆ちゃんにイライラして、仕事のそりがイマイチ合わない同僚に私が合わせられないことにイライラして、処方される薬の量とその用意にもイライラして、ちょっとしたパソコンのうち間違えにもイライラして。ああそういえば、朝起きたら毎日毎日耳にたこができてもいいくらい「要らない」って言っているのに朝ごはんが用意されていて無理やり食べさせられそうになったのが始まりだったかもしれない。ただでさえ昨日の夜から気分が悪いのにもうたくさんだという気分。いったい何にそんなイライラするのか。そんなの分かっている。卒論の用意が万全でないからだ。正直、用意を始めたころはこんなに自分が追い詰められるなんて思ってもいなかった。適当なテーマ決めて、それなりに文献読んで尺度用意して。なのに今になって、なんでこんな目に合わなくちゃいけないの? みんながやっている事なのに、自分だけが不運に見舞われているような気がする馬鹿な勘違い。バイトと過食嘔吐と欝でどんどん時間は奪われていくし、やっと時間が出来ると思ったら夕飯の用意をしなければいけなくてオロオロ。夜も2時間の点滴で動けないし、何とかしようと思っている矢先に「卒業だけはしろよ」とプレッシャーをかけられて、なんとか行きたいと思ってる学校は1限からある日に限って雨だし(雨だと自転車で行けないので鈍足な私は徒歩30分になる)、食生活についても未だとやかく言われて、耳鳴りはとまらないし、肩こりはひどいし、微量な点滴打ったところで不整脈も相変わらずだし。最近いいことってあったっけ、と思ってドラリオンのことを思い出すのにすでに私の中で色あせてしまっている現状。ああなんてこと。もう嫌だ。本当に、何もかも、どうかしている。どうにかしたくもない。早く終わらせたい。
 それでも、体は機械的に動く。イライラして手を切るのはもう嫌だと思って、その気持ちは過食嘔吐につながる。死ぬほど食って、吐いて、気持ちが落ち着いてきたら夕飯の用意をして。今日は、メインが豚肉のしょうが焼き。前菜にかつおのたたき、和え物は青梗菜と油揚げのさっと煮に、煮物は里芋とまいたけのそぼろ煮、つけあわせにキャベツの千切りと、ごはん。大体日曜日になると母親に「次の夕飯の献立考えた? お母さん、あっさりしたものがいいなぁ」なんて笑顔で言われる。母は、自分が作らなくてもすむことがとても嬉しいのだろう。そりゃあそうだ、朝起きて、洗濯して、朝食作って、自分も食って、メイクして仕事行って、休みともいえない短い休み時間を取ったらまた仕事行って…、そんな状態が続いたら誰だって夕飯なんか作る気はしない。でも母は作る。もちろん作ったら後片付けは私がするけれど、まだ、仕事関係のメールをして、雑用をこなして、弟に夜食を作って、明日の献立を再び考えなければいけないなんて。母は帰ってきて夕飯が用意されていると、とても嬉しそうな顔をする。私には当たり前だったことが、どれだけ大変なことか、毎週料理を作ることで実感した。だから、面倒くさい、辛い、そう思っても私にはもうやめることが出来ない。どれだけ忙しくても、どれだけ鬱陶しいと感じても、火曜の夕飯だけは作り続けるだろう。そのうち、木曜の夕飯まで作るようになるかもしれない。


 今は、料理の下ごしらえを済ませて、ごはんが炊けるのを、父と母が帰ってくるのを待ちながらこれを書いている。我慢できずにさっさとチューハイを開けてしまった。テレビでは小学校教科書クイズという番組がやっている。私は結構こういう常識問題を取り扱っている番組や、平成教育委員会ジャポニカロゴスのような教育的?番組が好きだ。ほかのバラエティなんて、どうにもばかばかしくて見ていられない。恋愛ドラマも面白いとは思えないし。今クールのドラマではもっぱら「女子デカ」、「医龍」、「ガリレオ」が期待のホープである。どうでもいいか。明日は先生にコテンパンに伸されるのかと思うと気分が滅入る。