壊れゆく世界で

 「壊れる。」
 精神科の受診で担当医と向き合った時、そう感じた。


 今日は朝から某病院の精神科へ向かった。電車で小一時間。ややこしい受付システムをやりすごして、精神科の外来で待つこと30分。まず、研修医による問診があった。それも一時間にわたって、小学生のときから今に至るまでの詳細なデータを取るような問診だった。もちろん、初めて自殺を考えたときから、摂食障害に至るまで、そしてリストカットと繰り返す過食嘔吐について。研修医はまだ若く、そしてちょっと私好みであったので、素直に問診を受ける。子供時代について思い出すのが大変であったが、なんとか母親と思い出しながら答えた。思えば色々なことがあったなぁという感じ。そして、担当医による初回面接。部屋に入った瞬間、目に付いたのが、あきらかな研修医とポリクリ生。大勢の中でいきなり傷を抉り出すような言葉を発する担当医。しかも、思いっきりまじまじと目を合わせられて、いても立ってもいられなくなって、正直その場からすぐにでも逃げ出したい気分に駆られた。まず下された病名、対人恐怖症。今まで自分が対人恐怖症であるなど考えたこともなかっただけに、意外だったが、とにかく担当医が、合わない。担当医との距離。椅子が近すぎる。息が臭い。喋り方が粘着質。これでご高名というのなら、うちの弟の方が何倍かましだ。喋って1分も立たないうちに、席を立って出て行きたくなった。これ以上聞きたくもないし話したくもないし通いたくもない。息が上がって、心拍数が増す。私には、両親には絶対に触れさせたくない「あること」がある。それについてはここでもmixiでも話すつもりはない。ただ、それは自覚しているけれど絶対に表に出したくはないことで、自覚しているからこそ両親には絶対触れさせたくないことで、そうなるくらいなら治らなくてもいい、死んだほうがましだと思うぐらいの「あること」。本当に、それだけは勘弁して欲しかった。担当医が何を言いたいのか、手に取るように分かる。だからこそこれ以上掘り下げてほしくない。それなのに、二週間後の予約を取り付けられた。どうすればいいのかわからない。
 帰りながら、母親に正直に「通いたくはない」と明言した。が、受け入れられなかった。とにかく通ってみようよ、とポジティブに返されたが、渦巻くのは不安感ばかりで、私の中の「あること」について、半ば強制的に思考が働く。考えるな、考えるな、考えるな、息を吸って、吐け、考えるな。そうひたすら自分に言い聞かせて、今にも泣きそうになるのをこらえながら電車に揺られていた。本当に、それだけは勘弁して欲しかった。他のどんな傷を穿ってもいいから、それだけは、触れないでいて欲しかった。そして、触れないでいて欲しい。これからも。だから、もう、治らなくてもいい。このまま両親に迷惑かけてずるずると生きて、死ぬほうがいい。それに触れられるくらいなら。でも、良く考えれば弟の受験が終わるまであと数ヶ月。それさえ終われば。それさえ終われば。それまで少なくとも、小康状態を保って、生きて。それさえ、終われば。…早く。早く終わればいい。弟の受験が終わるまでは、とにかく迷惑をかけないようにすれば。ずっと、それだけを思って、生きている。母親が弟の受験が終わるまでは迷惑をかけるなと言ったその日から、ずっと。だから自分にも言いきかせる。弟の受験が終わるまではリスカも自殺未遂もおこさないようにしなければ。余計な心配をかけずにしなければ。でもそれさえ終われば。


 正直、もう生きる目的など何もない。三月には、深き紅の淵へ行ける。何もかも順調に行けばそれでいい。弟は生きる価値があるのだから。その将来を壊すことなどできないのだから。とにかく、それが終わるまで。それが終わるまで、生きなければ。…駄目だ。心拍数が上がる。深呼吸。考えるな。考えるな。考えるな。何もかも、順調に、事を運べるように。少なくとも、迷惑をかけないように。




 夜、少しだけ泣いた。少しだけすっきりした。もっと大声で、嗚咽しながら泣けたらいいのに。