救われることのない僕はただ虚空を視る

 昨日はまたダイアリをさぼってしまった。といっても昨日は帰ってきたのが十一時を回っていたので、風呂に入ったりなんやかんやとしているうちに親と薬によって強制的に眠らされてしまったのだが。薬は、夜飲む分に限っては効いているようで、飲んで30分くらい経って薬の効き目がピークに達する頃には自然と眠れるようになった。逆に薬に依存しすぎて飲んでいないと全く眠れないのだが。いつか何も飲まずに眠れる日が来るのだろうか、そのときは私が死ぬときだろうな、とぼんやり思う日々。今日、一人でぼんやりと煙草をふかしつつ、今更ながら、最近笑うことがなくなったな、と考えていた。笑う、ということがし難くなってしまったように思う。どうやって笑顔を作ったらいいのか、笑顔の作り方を忘れてしまったような。何をしていても何かが本当に面白いと思うことはなくなったし、楽しいと思うこともない。何か何時も鬱々としていて、気づいたら消えたい、死にたいと思う。でも後三ヶ月だと思っては何とか我慢をして。早く何もかも終わればいいのに。


 今日は朝から学校に篭って統計分析のやり直しをしていた。朝何とか起きて行ったおかげで数学教員(他校の院生で色々教えてくれる方)がいる教室で統計処理をすることは出来たのだが、教えてもらっても何が何やら分からず、何とか色々と試行錯誤していたのが結局納得できない…。更に時間が経つごとにどんどん他の学生がやってきてのんきにあーだこーだとお喋りをはじめて大声で笑ったり色々…とにかく全く集中できず。教えてもらったことも端からこぼれていってる始末。というのは多分、自分自身に対する言い訳なのだけれど。とにかく統計の結果をどうみたらいいものか分からず、そのうち数学教員も帰ってしまってあとは家でやろうと帰ってきたのだが、過食嘔吐リストカット。二重苦来ました。上記で、夜飲む分には薬は効いていると書いたが、リストカットしたくなったら飲みなさいといわれているリスパダールという安定剤、全く効かない。あってもなくてもリストカットなんか抑えられない。結局効いてくるまでに切っているからなんだろうが。今日は3本。左腕に。だから正確にはリスカではなくアムカか。1本は結構深くて皮膚が裂けたのだが、風呂場で切ってしばらく湯につけてみてもすぐに血が止まってしまった。やっぱりもっと深く徹底的に切らないと死ぬことは出来ないようだ。どうしてこんなに死に難いんだろう。生き辛く、死ぬこともできないなんて。
 最近は、自分を責めてばっかりな気がする。両親には、卒論なんてもっと気楽にやればいいといわれる。けれど、それがどうしても出来ない。どうやっても、間違っているようにしか思えないのだ。だから、こんなにも鬱になってしまうこともわかっている。わかっては、いるのだが。私は、いつも自分を客観的に見るように心がけている。あらゆる角度から色々なことを考えてみようと思っている、つもりだ。だから、気楽とは言えなくとも、もうちょっと気分を緩めて卒論にかかればいいということも、わかっているし、それも考えた。だが、どうしてもできない。できない。どうしても間違っていると思ったらそのことばかりを考えてしまって、もっと気楽に出来たらいいのに、と思う。どうすればいいんだろう。本当はこんなところでだべっている暇があったら卒論をしなければいけないこともわかっているのだが。…きっと、わかっているわかっていると言っても、分かっていないのだろう。私は何が分かってないんだろう。どうすればいんだろう。


 明日は午前中にかかりつけの心療内科へ行って経過報告をしてくるつもりだ。あとは残りの時間で卒論に手をつけなければ。午後はバイトだ。今日は午後まで学校にいてバイトは休ませてもらったので、明日は行かなければ。そういえば、しなければ、しなければという口癖の人を「せねば族」だとか「ければ族」だとか言うという話を某講義で聞いたことがあるが、私はまさにそれかもしれない。何をするでも〜しなければ、と思うし、言っている気がする。なんでもっと気楽に生きられないんだろう。しんどいし、辛い。