泣けない夜も泣かない朝も

 今日思うことは昨日には思わない。今日思うことは明日には思えない。毎日を大切に生きたいけれど、大切なぐらい大した生活じゃない。朝起きて、顔を洗って化粧して、仕事に行って帰って来て、夕飯食べて日記を書いて眠る。朝はあわただしく、一日を思う暇はない。昼は脳を少し休めてカフェオレで糖分を摂取。夜になれば疲れ切っていてくたくたで、ダラダラとなんとなくテレビを見ては面白くないなぁとため息。何か楽しいことがあればいいのにと思いつつ、きっと楽しいと思える余裕のない自分がその原因で。何でも楽しいと思えれば楽しいというのは当然、その逆もしかり。楽しいと思えなければどんなことでも楽しくはならない。楽しくなるぐらいの心の余裕が出来ればいいけれど、何時も余計なことが頭をぐるぐるして叶わない。楽しいことってなんだろうな。仕事は絶対楽しくはならないだろうし。嫌々過ごしている毎日ほど退屈でつまらないものはない。でも楽しいって思えることが思いつかない。最近楽しみに飢えている。だってそれがないと生きてても意味ないもんね。世の中の人はどんなことを楽しいって思って生きてるんだろう。楽しみなことのないこんなむなしい毎日を過ごす仲間もいるのかな。でもやっぱりそれも考え方一つか。


 昨日の夜にまた過食。最近日曜の夜に過食することが多い。なんだろう、月曜のことを考えて鬱になるからかな。今日からまた一週間が始まったけど、特に変わりばえもしない一日だった。つまり、朝起きて、顔を洗って化粧をして、仕事に行って帰って来て夕飯食べて。みたいな。今日の仕事は午前が検査、午後が受付。検査はコンタクトレンズ処方の人が全然いなくって、難しい患者さんにばっかり当たった。教えてくれる同僚は基本的に冷たくて、仕事のときはとっつきにくい。クールとか、ドライじゃなくてただ冷たい感じ。それで検査が嫌なのかもしれない。懇切丁寧に教えてはくれなくって、悪く言えば大雑把、よく言っても「見て覚えろ」みたいな。別に仕事を教えてくれるとき以外は全然感じがよくって仲もいいのだけれど。そんなことに文句を言えないで、黙って我慢しているのがいけないのかな。もっと何でもかんでも聞けば教えてもらえるのかもしれないけど。でもなんでもかんでも「そんなこと知ってるしょ?」みたいな教え方なので正直戸惑う。たまに教えてもらってないことでも「教えたじゃん」て顔されるので、そんなときにはどうしていいのか。聞くのもためらわれてしまう現状で、前の同僚がその同僚と上手くいかないで辞めたのも、そういうのが原因じゃなかったんだろうか、と今となっては思う。確かにその同僚に聞くくらいなら他の同僚に聞いたほうがいいし辞めたくなるし。あー…しんどいな。
 午後は受付だったけど、混んだ午前に比べればかなり空いていた。それなのに雑用をうっかり残してしまったので、明日の午前に出来るかな。今日みたいに混んでいたらどうなるかわからないけど…。疲れたことは何もしてない気がするけど疲れた。ちょっとは今日も頑張ったって自分を誉めてやってもいいんだろうけど、どうしても自分が頑張ったって思えない。頑張ってるのに頑張ってるって思われない、なんて文句を言う前に、自分を認めてやらないでどうするんだ。そうは思うんだけれど。自分を認めるって想像以上に難しい。自分に厳しいとは思わないけど、優しくもない気がする。もっと寛容になれればいいのだけれど。あと最近の自分に思うのがもっと笑えたらいいのにってこと。楽しいことがないんだから笑えなくても当然かもしれないけど、最近まともに笑えたことがない。いつも作ったような笑いばっかり浮かべて本気で笑顔になった記憶がない。泣いてばっかりだ。泣くのは簡単なのに、笑顔になるって難しいな。逆に作り笑いをするのは楽だけど、本気で泣くのって難しかったり。矛盾だらけの日常。あーあ。


 明日はまた仕事。また同じ一日の繰り返し。こうやってぼやいて、でも毎日は過ぎていくのだから不思議だ。きっと言ってる間に日曜が来るんだろうな。今度の水曜日には映画を観に行きたいと思っている。コナンの映画。朝から手の傷の治り具合をクリニックに見せに行って、そのまま急いで映画に行って、午後は精神科というコースを考えてる。一人でアニメもむなしいけど観たいものは観たいんだ! 時間も見たら、午後の精神科の時間にも丁度いいくらいだし。それから母親と二人で新しいフレンチイタリアンの店にディナーに行くつもり。知っている美味しいフレンチのシェフがやるということで期待★